はじめに
「死の体験旅行」という名前を聞いたことがあるでしょうか。死を疑似体験することで、今を生きる意味を見つめ直すというワークショップです。近年、お寺や介護施設、企業の研修などで注目を集めているこのプログラムですが、その起源は欧米の医療現場にあり、日本に根付くまでには一人の住職の地道な探求がありました。
今回は、このワークショップをいち早く日本に取り入れ、13年以上にわたって実践してきたなごみ庵の住職、浦上哲也氏のお話をもとに、「死の体験旅行」が持つ意味と可能性を考えてみたいと思います。
本記事はなごみ庵の住職、浦上哲也氏へのインタビューを元に作成させていただいております。
父の死が問いかけたこと
浦上氏がこのワークショップと出会うきっかけは、25歳でお寺の手伝いを始めてから間もない頃に訪れた、父親の急逝でした。
近しい肉親を初めて失うという体験は、深い悲しみと同時に、「死」というものへの向き合い方を根本から問い直すきっかけになりました。しかし時間が経つにつれて、その悲しみやショックは少しずつ薄れていく、その感覚に、住職は複雑なものを覚えたといいます。
「だんだんと悲しみが薄れていく感じがして」と語るその言葉には、死を日常的に扱う立場でありながら、自分自身が「死」と向き合えているだろうかという、住職としての根源的な問いが込められています。
欧米の医療現場で生まれたワークショップ
悩みながらある本を読んでいた浦上氏は、欧米のホスピスで行われているワークショップの存在を知りました。終末期の患者に寄り添う医師や看護師が、患者の気持ちに深く共感するための研修として発展したプログラムです。
「これだ」と直感した浦上氏は、日本でも受けられないかと探し始めます。しかし当時、このプログラムは医療従事者向けの非公開研修として行われていることがほとんどで、一般の人はもちろん、住職という立場でも門を叩くことは容易ではありませんでした。
何度か看護学校などに問い合わせを試みますが、「一般の方はちょっと……」と断られ続けたといいます。それでも諦めず、プログラムの講師として名前が載っていた人物に直接連絡を取り、「うちのお寺に来てやってもらえないか」とお願いすることに成功しました。
お寺の本堂で行われた最初のワークショップ
こうして約14年前、このお寺で初めて「死の体験旅行」のワークショップが開催されました。当時知り合いのお坊さんたちに声をかけて集まったのは10名ほど。医療関係者向けのプログラムをお寺という場で行うという、当時としては珍しい試みでした。
ワークショップを受けた浦上氏は、自らの目的を達成したと感じました。しかしそれで終わりではありませんでした。住職がこの体験をブログに書いたところ、それが広く読まれ、見知らぬ人から「次はいつやるのですか」という問い合わせが届くようになったのです。
「一般の人もこういう話を聞きたかったんだ」——その反響が示すように、「死」というテーマは、縁起でもないとして避けられがちな一方で、実は多くの人が真剣に向き合いたいと思っているテーマでもあります。住職はその需要に応えるべく、自ら学びを深め、一般向けのワークショップを開催するようになりました。
「死の体験旅行」が広がった背景
このプログラムが広く知られるようになった背景には、「死の体験旅行」というキャッチーな名前の力があります。「死」という言葉に対して拒絶反応を示す人も少なくない中で、「旅行」という言葉がそのハードルを絶妙に下げているのです。
「なんだこれ、怖いな」「なんだこれ、気になる」——その両方の感情が入り口になり、参加者を引きつけます。実際に名前を正確に覚えていない参加者が「死の臨死体験に」「死が2回入ってるじゃないか」などと言い間違えますが、インパクトのある言葉の力が働いているといいます。
現在では、お寺だけでなく介護施設や病院の看護師研修、そして企業の社員研修など、様々な場で実施されています。建築資材の会社や会計事務所といった、一見「死」と縁遠いように思える業種からの依頼もあり、「死を見つめることで今を大切にする」という本質的なニーズは、職種を超えて存在することがわかります。
お寺だからこそできること
「死の体験旅行」が特にお寺という場で意味を持つのはなぜでしょうか。それは、お寺が本来「死と生をつなぐ場所」であるからに他なりません。
葬儀や法要を通じて死者を送り出し、残された家族の悲しみに寄り添うことはもちろん、死を前にした時間を豊かに過ごすための精神的な支えを提供することも、住職の大切な役割です。「死の体験旅行」はその役割を、より積極的・能動的に果たすための一つの手段と言えます。
参加者が疑似体験を通じて「大切なものに気づく」瞬間を生み出せるのは、静謐な本堂の雰囲気と、死者と向き合ってきた住職の存在があってこそです。
終わりに
父親の死という個人的な体験から出発し、海外のプログラムを粘り強く探し求め、やがて日本中にその輪を広げていった。この住職の歩みは、「住職が社会に何を提供できるか」という問いへの、一つの力強い答えです。
「死を語ること」はタブーでも縁起でもなく、今を生きる人間にとって必要な営みです。お寺がその場として機能し、住職がその案内役を担うことは、現代社会においてますます求められています。この取り組みが、他の寺院でも広まっていくことを願っています。





