コロナ禍が照らし出したもの―供養儀礼のアップデートと、お寺の持続可能な未来へ

はじめに

新型コロナウイルスの感染拡大は、社会のあらゆる領域に深刻な影響を与えました。お寺の世界も例外ではありません。法事の中止や延期、檀信徒の参拝機会の激減、お彼岸やお盆の行事の縮小。こうした変化が重なる中で、それまで当たり前とされてきたお寺の営みが一度立ち止まることを余儀なくされました。しかしこの「立ち止まり」は、同時にお寺の本質を問い直す機会でもありました。コロナ禍を経て、どのお寺が生き残り、どのお寺が苦境に立たされたのかその差は何だったのでしょうか。 本稿では、コロナ禍を起点としたお寺の収益構造の変化と、供養儀礼を今一度見直し、現代に即した形へとアップデートしていくことの重要性について考えます。

コロナ禍が顕在化させた「差」

コロナ禍以前から、お寺の経営環境は厳しさを増していました。少子高齢化による人口減少、都市部への人口集中による地方寺院の檀家減少、直葬・家族葬の普及によるお布施収入の減少。こうした構造的な課題は、コロナ以前から静かに進行していました。コロナはその状況をさらに加速させ、かつ「明暗」を鮮明にしました。たとえばお盆の墓参りについて。コロナ禍においてお寺側から「墓参りは控えていただきたい」と案内したお寺では、その後も参拝者が戻らないケースが見られました。一方、コロナ禍においてもお寺側から積極的に檀信徒に連絡を取り、「お体の具合はいかがですか」と安否を確認するような形でつながりを保ち続けたお寺では、コロナ後もその関係が維持されたといいます。差が生まれたのは、規模でも設備でもなく、「人とのつながりを大切にし続けたか否か」でした。

供養収入への依存と、その限界

多くの寺院にとって、葬儀・法事・お彼岸・お盆といった供養に関わる収入が経営の根幹を成しています。しかしこの構造は、コロナという外部環境の変化に対して著しく脆弱であることが露わになりました。直葬(読経なしの葬儀)の割合は全体の約3割に達しているとも言われます。かつては「当然のこと」として行われていた葬儀や法事が、「必要かどうか改めて考える」対象となりつつあります。こうした変化の中でお寺が取り組むべきことは、供養収入以外の収入源を模索することだけではありません。むしろ「なぜ供養が大切なのか」「法事にはどのような意義があるのか」を、現代の言葉で丁寧に伝え直すことが急務です。供養儀礼が「惰性的な慣習」として捉えられるようになってしまったとすれば、それはお寺がその意義を十分に伝えてこなかった結果でもあるかもしれません。

供養儀礼のアップデートとは何か

 

「供養儀礼のアップデート」と聞くと、伝統を軽視しているように感じる方もいるかもしれません。しかし、ここで言うアップデートとは、儀礼の本質を損なうことなく、現代の人々が意義を理解し、心から参加できる形を整えることです。たとえば法話。葬儀や法事における法話は、故人を偲び、残された方々が今後の人生を歩む上での支えとなる言葉を伝える大切な時間です。しかし、その場で初めて会った故人のことも、ご家族のこともよく知らない状態では、どうしても型通りの言葉になりがちです。そこである住職が実践しているのが、法話の記録と人となりの蓄積です。初七日や四十九日の法要の際に、ご家族から故人のエピソードを丁寧に聞き取り、その記録を残しておきます。一周忌や三回忌でお会いした際に「先日おっしゃっていたあのお話、今もよく覚えています」と声をかけることで、「この住職は私たち家族のことを気にかけてくれている」という信頼が生まれます。これは単なるサービス向上の話ではありません。一人ひとりの故人と向き合い、その人の人生をお寺の記憶として残していく。それ自体が、現代における供養儀礼のアップデートといえます。 

法話の「型」を持つことの大切さ

法話には、ある程度の「型」を持つことが有効です。葬儀においては、初めてお会いする方が多く、故人の詳細を知らない状態で法話を行うことがほとんどです。そのため、命の尊さや縁の大切さといった普遍的なテーマを中心に、わかりやすく語りかける内容を幾つか用意しておくことは、決して手抜きではなく、むしろ確実に大切なことを伝えるための準備といえます。落語が同じ演目を繰り返し演じるように、良い法話には「聞くたびに新たな発見がある」という深みがあります。型を持ちながら、その日その場のご縁に応じた言葉を一つ加えること。それが法話の妙味ではないでしょうか。また、どの法要でどの法話を行ったかを記録しておくことで、同じ方に同じ内容の話を繰り返すことを防ぎ、毎回新鮮な気持ちでお話できます。この記録の蓄積が、長期的な信頼関係の構築に寄与します。 

「奪われなかった領域」を磨く

お寺がかつて担っていた役割。役所機能、教育、地域の集会所の多くは、現代の行政機関や専門施設に移行しています。しかし「供養・苦養」の領域だけは、依然としてお寺が担い続けています。これは「奪われなかった」のではなく、「奪えなかった」領域ともいえます。人の死という、最も個人的で最も普遍的な出来事に向き合う場としてのお寺は、いかなる時代になっても、その役割を失うことはないでしょう。だからこそ今、この領域を現代に即した形で丁寧に磨き直すことが求められています。供養の意義を再び言葉にし、その営みを通じて残された方々の心に寄り添う。その積み重ねが、コロナ禍以降の厳しい時代においても、お寺が地域に必要とされ続ける根拠となるのではないでしょうか。  

おわりに

コロナ禍はお寺にとって試練でした。しかし同時に、それはお寺の本質的な価値を問い直す機会でもありました。供養収入が減少する中で焦りを感じることは理解できます。しかし「なぜ人々はお寺に来るのか」「法事にはどのような意味があるのか」を今一度深く考え、その答えを自らの言葉で伝えていくこと――それがお寺の持続可能な未来への道筋ではないかと思います。供養儀礼のアップデートは、過去を否定することではありません。先人が大切に守ってきた営みに、現代の人々が意義を感じ、心から参加できる形を整えることです。その誠実な取り組みが、次の世代へと縁を繋いでいきます。

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